(untitled)
包容力を持て余す
あなたの孤独は露知らず
痛みをそのまま体感したら
私など全て潰れてしまう
愛ある言葉に変わるもの
依存紛いの求め方
つまりどちらも孤独なら
初めて少しは懐灯る
けれど明日も明後日も
あなたはどんどん成長していく
足りないもどかしさの中で
誰も責めれず泣くのだろう
補足すると
補足すると、それを<恨み>や<妬み>や<嫉妬>だと捉えられるとすると、それは全くの間違いである。
寧ろ、その方が余程、<わかりやすくて楽>かも知れない。
じゃあ何に例えると伝わりやすいのか。
それは常日頃考えてはいるが、なかなかいいものが見つからない。
見つからないのだ。
今の気分
強迫性障害ってのは実に厄介。
人からしたら、「なんでそんなに?」って思うほど、<嫌なもの>に対して過敏になる。
それは、<数字>や<言葉>もだが、<人間>も、そう。
正直、その人の名前を耳にしただけでも、あらゆることに置いてのテンションがガタ落ちするのである。
それはなぜか。
それをうまくは説明出来ないが、簡単にまとめてみるとすると、こうだ。
<嫌なもの>に5感が触れた瞬間、あらゆる方向に、まるで毛細血管の如く、<想像・予測・予感>が駆け巡るのである。
それは、強迫性障害ではない人でもあることだろうけれども、その範囲や血管の数が恐ろしいほどの桁違いなのである。
だから、何度も手を洗ったり、何度も家に戻ったり、何度も同じことを繰り返したりする。
こと、<物や数字など>に対しては、それで気を休めることも出来れば、避けて通ることも出来る。
しかし、<対、人>の場合、そのストレスは跳ね上がって襲いかかるのである。
つまり、どれだけ楽しいことがあっても、どれだけいいことがあっても、ほんの一瞬で全てが恐怖やストレス、嫌な時間へとすりかわるのである。
今は、凄いストレスが半端ない。
と言う報告。
やはり
魅力を感じない人に、お金は避けないなぁ…。
それが例え、知り合いの誘いでも。