念じる気持ち

人をぶん殴った。



ときみたいなアザが出来てた。

念が強いと生じるものなのかな?なんて思ったり。


単純にどこかにぶつけたのだろうけど。

共感を求めて手が出る…って感覚を理解出来る人はどれくらいいるのかな。


私は過去に人と殴り合いの喧嘩をしたことが何度かある。

そのどれもが、お互いに理解を求めていた気がする。

ストレスだけで振り上げられた拳なんて、出逢ったことがない。
私個人は…だけれども。


「これが駄目」で「これがいい」なんてものに、対した理由なんてないはず。


「嫌」って感じたその気持ちが立派な理由であるのに、なぜ人は、状況から適当な理由を繕って、他の事例にも無理矢理当てはめて、少しでもズレが生じたら、
「これは、大丈夫なやつ。」
「これは、駄目なやつ。」
ってワザワザ手間のかかることをしたがるのだろう。


それってエゴ。ただのエゴ。

湧き上がるものに正解なんてなければ長文の説明書もいらない。


私は、世界を0地点で見つめていたい。


全然出来てないけれど、もっともっと、そうでありたい。

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