決めつけの連鎖
異性は、恋愛対象じゃない。
けれど、同性を望んで愛しているわけじゃない。
異性であれ同性であれ、私を無性別で見てくれる人間が恋愛対象であって。
そうなるとやはり同性の方が確率が高いわけで。
だって、私を‘恋愛対象’とする同性にには、なかなか出逢わない。
異性の方は、私を好きかどうかは別としても、なにせ‘異性’なわけだから‘恋愛対象’に入る確率も高いわけで。
お互いに‘0’地点で向き合える人と人間関係を築いていけたときの幸せは、とんでもない優しさを持って現れてくれる。
私は幾度となく人を傷付けたし、傷付けられてきた。
何気無く接しているつもりが、異性というだけでわけのわからないレッテルを貼られて嫌悪感や好意が生じてギクシャクする。
人と人であることが大前提で。
・男は絶対
・女のくせに
・草食系男子
・肉食系女子
・メンヘラ
・ツンデレ
・ヲタ
…etc…
…こう言った言葉をやたらと使う人は、相手を理解することを投げ出した人間だと思ってる。
例えば私がそう言う人たちをカテゴライズ症候群を患ってる人達と呼ぶことにする。
向き合うことを放棄するみたいに。
何かに当てはめてそのフィルター越しに人を見るのは、ものすごく楽。
向き合うことを投げ出した人間は、真剣に向き合ってもらうことも自ずと減ってくる。
大衆に埋もれることで安心感を得て、仲間に同意を呼び掛けて第三者をこけにすることで自身を保つ。
そこがどこの世界なのかは知らないが、住み心地が悪そうとしか思えない。
であれば、今の方がいい。
普通に人間関係が築けないし、自分で自分に怪我を負わせる自業自得な言動が目立つけれど、そんな自分でいる方がいいと思った。
けれどこれはあくまで上記の世界に入るくらいなら…と言う、どっちがマシかの話で。
本当ならもっと魂の共鳴を無垢に求められるくらいの人間になりたい。
そう思う。
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人間、東川 遥が大好きです(๑≧౪≦)